クラブ・委員会ひろば

古賀理事長と徳光会長の座談(5)
投稿者:広報委員会(昭和62年卒)
2013年5月24日(金)

会報「海原」37号で巻頭特集された古賀理事長と徳光会長の座談の全文を10回に分けて掲載いたします。こちらは第5回です。

==============

〈海城が中1に実施しているプロジェクロアドベンチャーの説明を受けて…〉

徳光
そういったことを中学から工夫してやっているというのは良いですね。
中学でバラバラだと仲間との言葉を失ってコミュニケートができいまま大人になってしまう。ある意味時代を象徴とは言わなくても陰の部分を作っているのではないでしょうか。理事長のいうことはよくわかります。コミュニケーションの大切さいまさらながら感じています。
今さらなのかも知りませんが海原会長仰せつかり合議する中で、人は会話で成り立つということが身に染みています。コミュニケーションは顔見てナンボです。相手の表情でわかる声のニュアンスでわかる。お医者さんだってカルテばかり見て、患者の顔見ないでオシマイじゃだめでしょう。中学高校一貫した教育で仲間同士の会話を持つ言葉を持つことは一番大切それがそのまま海原会につながるといいな

古賀
人のことがわかる、微妙なことが分かる。それともうひとつドラマエデュケーションというものを高1でやっています。ドラマの一場面を自分たちで演ずる。静止画で。それでお互いの立場とかいろんなものを解き明かしていくんです。それこそソリューションです。

徳光
テレビ局の入社試験みたいな事をやっているのですね

古賀
そういうのを経験して育ってくる子は違うものを持ってるんじゃないかなと思います。

徳光
感性が一番磨かれるのは中・高から20才ぐらいまででしょう。そういう取り組みは良いですね。

古賀
中学に入る入学試験は学力しか見ない。色々な能力を持ってるはずなのに学力しか見ない。残念ながら海城もそう。それしかやりようがない。
今のやり方なら徳光さんも私も海城には入れない(笑)。でも僕らは良いもの持ってるんですよみんな。当時の方が優れた人たちがいたんではないでしょうか。人間全体でいったら今の子に負けてない。素晴らしい人が出ているじゃないですか。

徳光
いい人はいっぱいいました。入学した当時は。
都立落っこちちゃって男だけの学校に…。お先真っ暗、女子高生のいない切なさ。でも、卒業時にこんないい絆、友情がうまれたのかとかと感じた。そのことは長続きするんですよね。勉強も詰め込みではなかった。良い教育者はいた。このことは大人になって再認識しました。どの先生も個性があった。いまもそうでしょうけど。
何がよかったかというと、駄弁ったことかもしれません。川村学園のことも、つまらないことも。マラソンで女子学習院と川村の校門の前ではいいトコ見せようと徒競走になったり、私は女子を見定めるためにひたすら徐行でしたが…。
良い会話があったなと思います。昨今は会話が欠落してますよ。自分一人の世界で完結してしまう事を覚えてしまう。小学校前から。そのまま思春期を迎えると無駄な思春期になります。思春こそ喜びも悲しみもある。ふと気づいたら悲しみの主人公。

古賀
悲しみと挫折は大事です。
そういう意味では私たちは堂々と言えますね。

(続く)

【この投稿のURL】
表現者たち「古典芸能部」
投稿者:会報部会 山本 満男(s27年卒)
2013年4月6日(土)

4/4、取材をかねて招待に預かった。あれから6年経っただろうか。
正確に言うと「古典芸能同好会」は4年。「古典芸能部」に昇格して
2年。だからホヤホヤの「部」となる。
教台を利用して、せんべい布団に座って・・・
「え~、落語家の商売道具はコレとコレ(扇子と手拭)で100エン均一
で買ってきたもんでぇ、するて~と・・・」
とのっけから笑わせる。15・6の男の子が??

古典芸能部は落語だけではない。歌舞伎、能、狂言、浄瑠璃の真髄
まで研究中だとか。恐れ入谷の鬼子母神である!
だから顧問の先生が3人いるが、忙しい!先生のほうが生徒より無知?
追いつけ、追い越せの始末。
最近、生徒たちは能楽堂まで行って見参しているとのこと。
思うに、学校から飛び出して社会勉強にいとまがないようだ。

彼らの対人関係は落語家、笑芸家はもとより、議員、学者、タレント、
作家、歌手、映画監督、出版社編集長、能楽役者など各界名士が
育成に協力して呉れている。
(あれ!写真の中に見たことのある落語家が居る?)

話しは戻る。
部員はすべて芸名を持っている。例えば「海原会」にあやかって
創立者の海原亭創太(現早大生)を始め、現・海原亭創雲、海原亭凌雲
二代目創太、雲甫、創桜、箒、今年卒業した海原亭園両師は千葉大合格。
そこで送別寄席を披露した。引退公演である。
部長である水野君(海原亭創雲)が軽妙な司会で、みんなからお金を
集めて寄せ書きの色紙と記念品を贈った。こんな場面もあった。

現況報告を聞いた。近所にある児童会館で定期公演をやっているとの
こと。他校と交流試合ならぬ交流寄席をやっている。相手校は芝学園と
浦和高校と「3校連合」を結成したという。
顧問の川崎先生は「これらは机上の学問では学びえない、いわば
≪学校ではおせえてくれない≫ところでございましょう」

最後に自然発生的に私によってきた。
私はこんな話をした。嘗て古賀理事長がナンバーワンでなくて、オンリー
ワンになれ!と会報に書いたことがあった。つまり個性的人間になれと。
この話をしたら、「あっ、僕たちの事を言ってくれている!僕たちは個性
を持った人間だもん」

6年前、利根山光人先生アトリエパーティで、出前寄席をお願いして
拍手喝さいをしたことを思い出す。みんな成長した。
皆さん応援してやって下さい。
古典芸能部のHPで活躍ぶりを見てください。「古典芸能部」と検索すれ
ばメニューに海城中高古典芸能部が開きます。
(名誉顧問 山本満男)

写真上 集まった古典芸能部スタッフ
   中 引退公演 海原亭圓両君の熱演
   下 舞台裏記念撮影 左側たい平師匠、
      野末陳平氏も同席






【この投稿のURL】
徳さんの落語
投稿者:安藤  浩(昭和34年卒)
2013年3月29日(金)

メデイア会発会式での徳光会長の司会ぶり、その行儀の良さ(?)が、目に浮かびます。と言うのも、我々、34年卒業同期会の会合でも、事前に司会者は、決めているものの、いつのまにか、徳光君に取って代わり、実に、賑やかな 団欒の場と化してしまいます。この職業病はどこからきているのでしょうか。
それで思い出すのが、都立高校を落ちた連中が大半を占める当時の海城で、徳さんと出会った1959年(S34年)4月、1年A組、小寺先生のクラスでの出来事です。
昼休みになると、教壇の上に小さな座布団を敷き、落語を披露してくれたものでした。その時の演目が、当時絶大な人気を博した落語家「柳亭 痴楽」の<恋の山手線>の一席でした。
その後の彼の活躍ぶりを彷彿とさせる懐かしい想い出となっています。


【この投稿のURL】
海城野球部OB会交流戦☆東京ドーム/上
投稿者:広報委員会(昭和62年卒)
2013年3月26日(火)

3月24日(日)の夕刻。WBC日本代表の活躍から日も浅い東京ドームに海城高校野球部OB会と関東学院高校野球部OB会が集結した。

第3回を数え恒例となった感のある両校野球部OB会の交流戦。第1回は神宮球場、第2回は東京ドーム、と素晴らしい環境での対戦であるが、海城はここまでのところ2連敗している。勝ち負けが目的ではない交流戦とはいえ、海城サイドからは今度こそ!の声があちこちで聞かれる。

高校球児も顔負けの元気な挨拶で試合はスタート!
序盤は若手中心の布陣。元東大野球部主将の岩崎選手や一昨年夏にキャプテンとして海城高校をベスト16に導いた出口選手の姿もあった。出口選手と1学年下で超大型右腕として活躍した竹内選手は北海道暮らしで肩を冷やした(?)とのことで、残念ながらスタメンからはずれた。

1回表関東学院は海城の守備の乱れから2点を先制。海城ナインは関東学院と戦うと同時に、エラーの度に海城ベンチから発せられる容赦ない先輩のヤジにも立ち向かうこととなる。しかしその裏、ヤジを愛の鞭とポジティブにとらえ、海城も2点を取り返し同点の2対2。

その後海城が2回、3回と1点ずつ追加して2対4とリードていた3回の裏、打席に入っていた渋谷選手が死球退場。シュート回転しながらインサイドに食い込んできたボールに一歩も引かず向かっていったところのアクシデントだった。当たり前のことであるが硬球は硬い。油断は禁物である。

画像上:1塁側に陣取りミーティングをする海城OB会
画像中:試合開始の礼
画像下:若手中心の先発メンバー


(つづく)

【この投稿のURL】
海城野球部OB会交流戦☆東京ドーム/下
投稿者:広報委員会(昭和62年卒)
2013年3月26日(火)

(つづきより)

第3回となる海城と関東学院の両校野球部OB会の交流戦。3回の裏、渋谷選手の死球退場から試合が大きく動き出す。

4回の表、動揺したのか海城は関東学院に7点を献上してしまう。万事休すかと思われたが、その裏に海城打線が爆発。5点ゲットでたちまち同点に盛り返した。

その後、海城は1点を勝ち越して9対10。メンバーチェンジをして終盤のベテラン勝負となる。両校とも経験豊かなベテランがいぶし銀のバッティングを披露するが攻守に阻まれ1点が遠い。

試合は7回を迎え、終了の9時が近づく。1点を守りきろうとして固くなったのか、海城側の守備がにわかに乱れ、四球・パスボールと相手に進塁を許してしまう。そうなると関東学院の打線に火がつき、3点追加。10対12と逆転された。

その裏、何とか2点を返したい海城だが、2者倒れてツーアウト。時計は8時58分を指していた。策を巡らすならとっとと三振して9時前に次の回に滑り込んでしまえば良いのだが、海城魂はそれを良しとはしなかった。最終打者は相手投手と堂々と渡り合い、粘っているうちに9時を越えそのままうち取られてゲームセット。12対10で関東学院野球部OB会の勝利となった。

悔しい3連敗であったが、試合後の選手たちは皆さわやかな笑顔だった。関東学院側とお互いをたたえ合い、白球を追い求める仲間同士で固い握手さえしている。これぞスポーツマンである。
来年はどこで試合をするのだろう。もう一度ドーム?大遠征で甲子園?そんな声が聞かれた。今回参加できなかった野球部OBの方々は次回こそ参加されてはいかがだろうか。

画像上:試合終了後の礼
画像中:マウンドに集合した海城OB
画像下:試合結果

【この投稿のURL】

リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。

海原会ニュース アーカイブ
「ひろば」は、同窓の皆さんが自由に投稿できる掲示板です。同期・同窓やクラブ・委員会の連絡等に、是非活用してください。リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。
会長挨拶
校歌
会費納入のお願い

海原会の運営はすべてみなさんからの会費収入によってまかなわれています。そのためにも会費未納(永年会員を除く)の方は、ぜひ会報に同封された振り込み用紙により納入してくださるようお願いいたします。
年会費:3,000円(毎年払込)
永年会費:30,000円以上

住所変更について

会報送付のため、住所が変わった方は海原会までご連絡ください。当サイト「海原会へのお問い合わせ・ご連絡」からも、会員の住所変更を受け付けております。本人確認のため、卒業時の担任名を併記してください。

会報「海原」同窓会投稿のお願い

会報「海原」では、同窓会の記事を募集しています。同窓会の投稿(写真)をお待ちしています。