同期会・同窓会ひろば

海原会員の従兄弟同士で五星山展へ
投稿者:広報委員 杉山紘千佳(昭和36年卒)
2013年11月6日(水)

福島県二本松市の大山忠作美術館で10月12日から五星山展が開催されている。
五星山展は東山魁夷・髙山辰雄・平山郁夫・加山又造・大山忠作という「山」が名前に付く5人の文化勲章受章者の作品が一堂に会する希有な作品展である。先の東北の大震災、それに続く原発事故で未だ傷の癒えぬ福島の方々に、これらの作品を見ていただくことができたいという思いから企画された。

実は海城OBには大山忠作の親戚が4人もいる。
鑑賞・応援・旧交を温める…、目的は様々だが、「是非みんなで二本松に行こう!」ということになった。10月27日(日)朝早く、海原会員3人を含む、通称MOSS(三浦、大山、杉山、杉本)従兄弟の一行22名は貸切のサロンバスで東京駅を出発!途中、事故渋滞で30分ロスしたが、午後1時20分に無事二本松の大山忠作美術館に到着した。

今回、五星山展の実行委員長となったのは大山忠作画伯の長女である大山采子女史。女優の一色采子といった方が通りがよいかもしれない。
その大山女史のトークショーが午後2時からということで、まずは3階の五星山展の作品35点を鑑賞したが…、すごい。圧倒的にすごい。見れば分かると言ってしまえば身もふたもないが、道を極めた者の作品はそれ自身がオーラをまとっていて、見るものに力を与えてくれる。

大山采子実行委員長のトークショーでは、今回の5人の遺族達に福島の復興支援の為の展覧会という事で出品して下さいとお願いした時の苦労話、父・大山忠作画伯の性格の話等が語られ大好評だった。五星山展の題字は片岡鶴太郎さんが染筆したものであるが、片岡さんは「巨匠の作品が集まる展覧会の題字を書かせて貰える事は光栄で震えるような気持ちだった」とコメントを寄せていた。
トークショーの後、再び五星山展を鑑賞し、大山采子女史からは熱っぽい説明を受けた。作品を見るだけで力が湧いてくるので、この作品展が復興支援であるということに非常に納得がいった。

その後、二本松の大山一族と合流。美術館を後にし、岳温泉・ホテル光雲閣へ。夜の宴会は総勢33名で4年振りの従兄弟会ということで、歌や踊りが飛び出し大盛り上がりな賑わいで夜遅くまでどんちゃん騒ぎ。夜中には東北恒例の地震の洗礼を受け朝を迎えた。
翌日は「飯盛山」で白虎隊の墓参をし、秋晴れ快晴の鶴ヶ城を愛で、磐梯山SAで喜多方ラーメンなどを食し、一路東京の丸の内口へ無事到着。

五星山展は11月17(日)まで開催。海原会の皆様の来場をお待ちして居ります。

画像上:五星山展の資料
画像中:MOSSの面々
画像下:作品と大山女史 ※本来、作品は撮影禁止です

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平成20年卒海城同窓会
投稿者:津村大樹(平成20年卒)
2013年11月3日(日)

海城を卒業してそろそろ6年が経つ。社会人になって働いている者もあれば、学生として研究を進める者もある。「卒業以来初めて来た」という者もいて、カフェテリアで思い出話に花を咲かせた。
開催告知が事前連絡になってしまったので、集まったのは20人弱。アメリカから帰国したメンバーがいたり、「はじめまして」の挨拶を交わす声が聞こえたり。今までは騒がしかった同窓会も、今回の企画では和やかなムードに包まれた。
次回開催予定日程は1/4。「毎年新年の第一土曜日に新年会をやろう」という提案があったので、近いうちに同期の皆に連絡します。その際は返事はお早めに。
(津村大樹 記)

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海原二五会(昭和25年卒同期会)
投稿者:梅沢喬二(昭和25年卒)
2013年11月1日(金)

明年は入学70周年
恒例の昭和25年高卒同期会を10月22日、南青山の「うすけぼー」で開催。参加者24名。
今年から昼間の開催に切りかえた。午後1時、尾上武朗君の司会で開催。先に旅立った多くの仲間の冥福を祈り、冥福を捧げたあと、秋山哲児君の乾杯の音頭で宴に入る。
第2次大戦も末期の昭和19年(1944年)、旧制、海城中学入学のわれわれは、明年には節目の70年目を迎える。その間、未曾有の大変な激動の時代を乗り切ってきた。仲間のほとんどが筆舌につくしがたい人生経験を味わった。でも、まだ多くの「戦友」たちが八十路を懸命に歩みつつある。だがその前途は、険しさを増す。
この日、名古屋から野球部主将だった飯田耕作君、仙台から高橋博君もかけつけ足元不如意の白井亭二君は奥さん同伴で出席した。
宴たけなわ、1人づつショート・スピーチ。自分自身や家族の近況。健康問題などが主だったが、それぞれ多少の問題を抱えているものの、平均年齢をクリアーしたこともあって、ある意味では達成感さえ漂っていた。ともあれ、談笑の輪があちこちに広がり、今年も、まことに楽しき3時間ではあった。「7年後の東京オリンピックを見ようや」というのが合言葉となったが、さしあたり皆んな達者で、来年も出来るだけ多くの仲間と会いたいものだ。
そして最後に松平新太郎君の音頭で海城校歌を斉唱。全員、歌詞を片手に大声を張りあげた。
(梅沢喬二 記)

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再来年の創立125年に喜寿を祝おう
投稿者:前田昌則(昭和33年卒)
2013年10月29日(火)

晩秋というより初冬を思わせる日があり、昨今の気候は暦通りに進んでくれません。恒例の三三会を母校カフェテリアで開催しました。出席は21名、顔ぶれは余り変わらないので名札はやめた。先ず、物故者のご冥福を祈り黙祷。(最近の物故者・下谷浩彦君、中島芳彦君、小林英治君、小金井一正君)。司会進行は石原長夫君。開会の辞を前田がやった後、学校の現況報告が古賀理事長からありました。乾杯はいつも元気溌溂、和服に袴姿の神影流名人、豊島一虎君で始められた。最近の海原会活動について石原副会長より、前週に行われた第2回海原会ゴルフ大会について池内宏君からありました。恒例の近況報告では平野凱久君が英語でスピーチし、それを永竹久雄君が面白おかしく通訳(正解は不明)する一コマがあり一同爆笑。楽しい一時であった。再来年は学園創立125周年、海原会95周年と目出度く、三三会も”喜寿”の祝いを催したく思います。
来年も元気で明るい笑顔での再会を誓い校歌斉唱。中締めは元気よく豊島君の三本エール。
1本目は学園、2本目は同期の古賀理事長、3本目は我々三三会同期と締めて散会した。

幹事代表 前田昌則

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信濃デッサン館・無言館2度目の訪問と別所温泉、軽井沢の旅
投稿者:広報委員 杉山紘千佳(昭和36年卒)
2013年10月24日(木)

9月29日(日)~10月1日(火)までの2泊3日の女房と長野県を2人で旅してきました。

きっかけは海原会の見学会で信濃デッサン館・無言館を昨年訪れたことでした。そこの館主は海原会の一期上の先輩で、窪島誠一郎氏です。
夫婦の会話の中で、女房が昔ラジオで窪島氏の「父への手紙」に関する話を聞いてすごく感銘しファンになったと聞いたのが旅のきっかけでした。それでは一緒に会いに行こうとすぐに話がまとまり、まず窪島先輩とアポを取りました。「9月29日(日)午後2時ごろなら会いましょう」というお返事をいただき、トントン拍子。

長野県上田市の無言館には10時ごろ到着。早く着きすぎました。
信濃デッサン館とその別館である無言館をゆっくり回り、レストランで食事をし、時間よりずいぶん早かったものの受付に行くと、「館主が信濃デッサン館でお待ちです」と言われました。急いで信濃デッサン館に戻ると、窪島氏がすでにお待ちでした。
昨年海原会の方たちと訪問したときの写真をお渡しし、しばし歓談。窪島氏の著書「明大前」物語を購入したらサインまでいただき、感動しつつ信濃デッサン館を後にしました。
その日の宿は信濃デッサン館から自動車ですぐのところにある別所温泉の中松旅館。チェックインの予定よりだいぶ前に着いたので、荷物を置いて、近くの「北向観音」「常楽寺」を散策することができました。その夜は松茸料理と温泉に堪能しました。

翌日はもう一つの旅の目的である軽井沢の松宮農園へ。農園では無農薬で栽培されたレタスなどが畑一面にありました。農園に併設された健康道場に一泊し野菜を乳酸菌で発酵させたハッピーフルーツという野菜ジュースをいただき、健康に対して目から鱗の貴重な経験ができて大満足。

慌ただしい旅行でしたが、無事帰ってまいりました。

画像上:無言館に貼られていた窪島氏の言葉
画像下:別所温泉からみた塩田平の景色

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