同期会・同窓会ひろば

北総海原会(仮)海城OB仲間募集中!
在学中から住んでいた人、社会人になってから家を構えた人とさまざまですが、千葉県北部は海城のOBが多く住む地域です。この度、山本満男さん(昭27卒)・安藤浩さん(昭34卒)・杉山紘千佳さん(昭36卒)が発起人となって北総海原会を立ち上げることになりました。
3人とも海原会のゴルフ会や見学会で活躍されているので、昭和卒・平成卒に渡ってお知り合いの方が多いようで、平成卒の方とも北総海原会についてやりとりをされているとのこと。
興味がおありの方は取り次ぎをいたしますので、当HPの「海原会への問い合わせ・ご連絡」までご連絡ください。
なお、映画のポスターのようなかっこいい画像は山本さんの作品です。
2016年の高橋義治展
故高橋義治さん(昭36卒)の個展が、今年も「銀座アート・ホール」で2月29日(月)~3月6日(日)まで開催されます。
高橋義治さんはドイツを拠点に活躍された画家でした。1998年の没後も、毎年個展が開かれていて、個展には愛好家、芸大関係者、海城関係者が多く訪れます。
高橋義治
1943年 東京生まれ
1961年 海城高校卒
1964年 東京芸術大学卒後 渡独
以来、ドイツを拠点に活躍
欧州ではのべ120回の個展開催
1998年 ドイツにて没 東京青山にて眠る
画像上:高橋義治展案内ハガキ
画像下:地図
利根山光人先生の奥様へ感謝状
1月14日(木)、山本満男(昭27卒)先輩と一緒に、東京の等々力にお住まいの、故利根山光人先生の彌恵子未亡人の所に訪問しました。尾山台駅で、海城学園の古賀理事長(昭33卒)と森山事務長(昭41卒)と待ち合わせ。利根山邸には小堀博史(昭25卒)先輩が先に来てました。
本日は、昨年に利根山彌恵子さんが、光人先生の作品を海城学園に六点寄贈された御礼に、夫人に感謝状を渡したいとの事で訪問しました。作品の寄贈に関しては、会報「海原」42号にて詳しく書かれています。
画像上:感謝状
画像中:古賀理事長から感謝状を授与される彌恵子未亡人
画像下:左から古賀理事長、山本満男氏、森山事務長、小堀博史氏
第39回湘南海原会例会を開催しました。
平成27年11月27日、JR茅ヶ崎駅ビルの「活飛び」で第39回湘南海原会を開催いたしました。当日は昭和19年旧制海城中学校卒業の川島、福田氏の
両大先輩を始め8名が参加しました。昭和18年卒業で海軍兵学校卒業の河合会長は都合で欠席されました。今回から同級生の鷲田さんが参加されましたが8名の内5名までが旧制中学校の大先輩で、幹事長の佐藤氏と私、鷲田さんが海城高校の卒業生ですが世代のギャップは感じられず大先輩の方々の包容力のおかげで誠に和気あいあいとした会合で、皆さんの近況報告やら趣味の話等々で2時間あまりの語らいはあっという間に過ぎてしまいました。湘南海原会は例会は年2回5月と11月に茅ヶ崎で行っていますが新しい参加者を大いに歓迎いたしております。茅ヶ崎市在住の徳光海原会会長殿もご案内しましたがご都合が付かず次回以降のご参加を楽しみに致しております。最後に集合写真を撮り次回の5月27日の例会をお互いの参加を約して散会しました。
今年最後のキッドアイラックホール
12月28日(月)、海城学園の1年上の窪島先輩の運営する「キッドアイラックホール」にて「天満敦子」さんの、今年最後のバイオリンコンサートを聴きに行きました。
天満さんは、280年前のストラディバァリウスを生涯の夫として愛してるバイオリニストです。
コンサートは、バッハのG線上のアリアでスタート。その後フォーレの曲が2曲、イギリス民謡とマスネのタイスの瞑想曲と続き、ポルムベスクの望郷のバラードで前半が終了。
天満さんのユーモア溢れるショートトークを挟み、後半は日本の叙情歌、ねむの木の子守唄、五木の子守唄、中国地方の子守唄で、静かに流れるバイオリンの音色が、聴いてる我々の心を和ませてくれました。山田耕筰のからたちの花と続き、本日最後の曲は、ホルストのジュピター。聴衆の心をわしづかみにする調べは、奏でられた途端に感動を呼びました。
アンコールの曲は窪島先輩の大好きな森繁久彌の作詞、作曲の「知床旅情」でした。
生憎、窪島先輩は体調を崩し、会うことは叶いませんでしたが、素晴らしい時間を過ごすことができました。
キッドアイラックホールは京王線・井の頭線明大前駅徒歩2分の場所にあります。長野県で戦没画学生の遺作を展示する無言館の館主をされている窪島誠一郎さん(昭和35年卒)が運営する多目的なホールです。ギャラリーの設備の他、演奏会用のホールも備えていて、芸術の交差点となっています。
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。