クラブ・委員会ひろば

残念!無念! でも有難う。
母校野球部の諸君!去る7月12日、強風の神宮での都予選ご苦労様でした。あまりの大敗だけに、大きな痛みとなって、未だ、心に疼くものがあるかもしれません。厳しい結果だけに、これが癒えるのは少し時間が必要かもしれません。でも、この1年間、梶新監督の下、練習場を求めて猛練習に励み、20数校との申しあいなど、週末に他校との練習試合を重ねて得た諸君の「心の野球」は、大きく伸びたこととおもいます。そして、選手同士の絆も、より強くなったことでしょう。
1,2年生は、来年に向けて、すでに練習を開始したのかな。3年生は、次の大目標に向けて、夏期講習に入っているのですか。受験の大舞台でも、今まで鍛えてきた「心の野球」で立ち向かってください。
ご指導の先生方、そして、球場で、MegaphoneやMember表を用意し、冷たい物を配っていた御父兄のお母様軍団、並びに吹奏楽団の皆さん、心が折れそうな場面でも懸命の応援、ご苦労様でした。
また、来年会いましょう!
文 安藤浩(昭和34年卒)
写真 石原長夫(昭和33年卒)・国井信男(昭和62年卒)
文実・生徒会OB@小林先生を偲ぶ会
7月7日に行われた小林先生を偲ぶ会には文実(文化祭実行委員会)・生徒会OBも多数参加しました。
昭和60年卒の桜井さんから平成23年卒の小林さんまで年齢層は幅広く、中でも、小林組出身の生徒会長が3人も揃ったのは良かったです。
偲ぶ会では小林先生の顧問をされていた部活・委員会と小林組、そして先生の式辞がありました。文実・生徒会OBからは小林組出身で107代文化祭実行委員長の奥澤さんに式辞をしていただきました。
去年の今ごろは次回の飲み会の約束をしていた小林先生。まさか偲ぶ会で杯を交えることになるとは今でも信じられない気持ちですが、小林先生の遺志を継いで、母校海城と仲間たちを愛していきたいと思います。
画像上:文実・生徒会OB
画像下:式辞を述べる奥澤さん
山岳部OB会高尾山山行
【日時】2012年6月10日(日)
【場所】高尾山
【人数】11人
一昨年から新しく活動を始めた山岳部OB会。山岳部にOB会が存在していることを知らない方もいるのではないだろうか。海城山岳部は実は結構歴史があり、会発足は昭和28年。発足当時は「かたつむり登高会」として活動し、顧問の大貫先生の指導により高レベルな山行を訓練、実施していた。それに伴いOB会も設立され、山岳部・OB会共に大学山岳部と同等のレベルまで推移していた。その後衰退と再盛を繰り返し、現在に至る。
現在ではOB会としての活動も減少し、実のところ私が高校2年だったころはOB会があることを知らなかった。だが熱心な友人と同期が奮起し、OB会を復活させようということで、2年前より私の代でOB会復活の為に行動し、ついにOB十数人と連絡を取ることが出来た。
まだ会運営が不安定ではあるが、着実にOB会復活への道は開けていると思う。実際、先月6/10にOB数名と共に高尾山山行を行うことが出来た。当日参加したのは大貫さん、笠井さん、譲原さん、杉本さん、三浦さん、江口さん、外間さん、那須さん、そして私勝元と同期の佐々木、加えて現役から高2脇田君、総勢11人である。上は82歳から16歳まで幅広い年齢の方々が集まった。
企画や連絡など運営は私の代で仕切り、私としては初めての試みだったが、成功だったように思う。大貫さんは久しぶりに彼の生徒と出会ったようで、とても嬉しそうにしていた。OBが久々に顔を合わせることができた、これだけでも山行を計画した意味があるというものだ。
今回は試しということで比較的簡単な高尾山を選んだが、どうやらOBの方々はさすがに楽だったかもしれない。運営が軌道に乗ったら宿泊含めた山行も考えておこう。
この記事を読まれた方でもし山岳部OBの方がいらっしゃったら、ぜひご連絡ください。まだ40人しか連絡が取れません。現役山岳部・OB会のさらなる発展のため、ご協力をお願いします。
メールアドレス: kaijosangakubu☆gmail.com (☆→@と変えて下さい)
写真1:高尾山山頂にて
上段左から: 佐々木・勝元(H24) 譲原(S48) 大貫(S23) 那須(H23) 外間(H23)
下段左から:高2脇田 笠井(S41) 杉本(S49) 江口(H23) 三浦(H21)
写真2:下山後、ミーティングの様子
写真上手く載ってるかな・・・
那須海城祭に行ってきました
海城の兄弟校である那須高原海城は今春から多摩センターにて以前のような全寮制を復活させました。
那須海城の教頭先生は98代海城祭実行委員長だった平成3年卒の塩田くん。生徒の手前もありますから校内では塩田「センセイ」と呼びます(笑)。
100名の生徒が来校者をもてなす文化祭はアットホームな雰囲気。震災発生時の様子を展示したコーナーは息を飲む迫力がありました。一方で、女装コンテストには校長をされている茂木先生も参加!ナスカイ生は校長先生を立てるのかな?と思いましたが、そんな政治力に屈することなく、茂木先生は予選落ちをされていました(笑)。
那須海城祭は明日まで行われます。皆さんも行かれてはいかがでしょうか。
受付近くで販売される焼きそばは麺:肉が2:1の大迫力で250円で超お値打ちです!
画像上:那須海城の校門
画像中:震災時の展示
画像下:塩田センセイ(98代実行委員長)と国井(94代生徒会長)
旬の人。梶原さん、頑張れ!
クラブ・委員会ひろばに、H6年卒バレー部の梶原さんって、すごいなあ。
エールを送ったら返事を頂きました。ありがとう。
私も野良仕事大好き人間なんで、感動しました。
慶応に入って東大大学院に入って、農業をやるなんって、それも私みたいに年を取ってやるのと違うものね。若い人が新しい人生を切り開くなんて、
スバラシイ!嬉しくなっちゃうなあ。これを機会に海城卒の農業人集まれ!ですね。
ところで、奥さんも可愛くて美人だなあ。しかもコーネル大学卒ですってね。
田舎だから、さぞかし話題騒然でしょう。信州の里山で一町歩。スゲ~。
私なんか百坪でも耕運機使ってもフーフーしちゃいますよ。それでも「山があるから登る」みたいなもんですね。
でも、「百姓やって食っていけないぞ、止めたほうがいい」と言われませんか。お便りによると梶原さんは週2回家庭教師をやっているとか。これが現金収入?良かった。こうなると体が資本です。健康が第一です。頑張って下さい。りっぱな「能業人」になって下さい。
今、私の近所の農家は若い人が勤めに出て、残されたジジ・ババは元気だからやってるんですね。長五郎の婆ちゃん(屋号)は私の顔を見て「体は丈夫かね?丈夫でなければ百姓できねーよ」ですって。
梶原さん、近いうちにHP作るんだって?楽しみにしてます。そして海原会のHPに農業情報?をお寄せ下さい。待ってマース。
最後に私のたわごと「苦労はするな、経験はうんとしろ!」
写真1:梶原夫妻(コピー)
写真2:「おっちゃん餌おくれ!食糧難でね」
(自作ユーモアイラストより)
写真3:畑の中の私
リニューアル以前の記事は旧 広場で見られます。