同期会・同窓会ひろば

海城の森を訪ねて
投稿者:国井信男(昭和62年卒)
2020年7月4日(土)

現在の海城の修学旅行は沖縄だそうだが、30~40年ほど前は北海道と九州のかわりばんこで、私の時(昭和60年)の修学旅行は北海道だった。まだ青函トンネルはなく連絡船が活躍していたころの話である。
札幌、層雲峡、網走と巡り、日高町では農家に民泊をした。日高町を離れる朝、「海城の森」と書かれた看板のある苗木が植えられた山にバスで立ち寄ったことを覚えている。
海城の森はどこにあるのだろう、今どうなっているのだろう。日高町を訪れてみた。

実は、今回の訪問は偶然であった。新型コロナウィルスの対応で東京から他県への移動が可能になったタイミングで私は早めの夏休みを取り、北海道へ向かった。旅の様子などをSNSに投稿していたところ、それを見た年齢の近い海城OBから「海城の森はどうなったのかな?」などという話が出て大いに盛り上がった。「北海道旅行の際に日高町に立ち寄ったが見つけられなかった」とか、「自分は見つけた」とか、みんな海城の森の行く末を気にしていた。

そのような盛り上がりに私も興味をそそられ、急遽、日高町を訪れることにしたというわけだ。まずは日高町の役場に赴いた。すると、アポなしだったにもかかわらず、海城の森について色々と教えてもらえた。海城の森は日高町と海城学園が結んだ契約。海城が町有地にトドマツを植え、それを日高町が管理し、木が十分に育ったときに日高町と海城で収益を分配するというもの。
当時の資料を見せてもらえた。海城の森は昭和60年から昭和113年までの契約であった。なんと、私の学年の修学旅行から海城の森が始まっていた。当時、私は生徒会長を仰せつかっていたのだが、知らなかったか全く忘れていた。なお、看板の除幕式は同期で生徒会副会長の横川くんのお役目を行われたということがSNSで彼から連絡をもらい判明。これは間違いない。
昭和113年なんてそんな先のこと分かんないよ!と昭和60年当時なら言うかもしれないが、気づけば昭和113年の年まであと18年。結構リアルな残り時間だ。健康でいたならば伐採の時は立ち合いたいと、これまた同期とSNSで盛り上がった。

実際に、海城の森に行ってみた。植林から35年である。苗木だったトドマツはすっかり大木になっていた。こりゃあ自分も年を取るわけだと納得。
海城の森の収益の海城の分は基本的に日高町へ寄付するらしいが、私はそれでいいと思う。
私が北海道に行ったということを起点に同期や前後のOBがこれだけ思い出して盛り上がることができた。海城の森は日高町の思い出の証拠として海城OBの宝物になってる。宝物はお金以上の価値がある!十分に海城の森から我々は何かを受け取った。
素敵な宝物をありがとう海城!と心から思うとともに、SNSってすごいなぁと改めて認識した次第。

なお、日高町からは「是非!皆さん海城の森を見に来てくださいね。修学旅行も北海道が復活できたらいいなぁ」との言葉を預かってきたので、ご紹介しておく。

画像上:日高町では海城の森の資料がきっちりあった
画像中:植林当時の看板。今はない
画像下:すっかり大木になったトドマツ

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