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無言館を応援しよう
投稿者:杉山紘千佳
(昭和36年卒)
2018年7月29日(日)

昭和35年卒業の窪島誠一郎氏から無言館のSOSの手紙と「無言館をささえよう」基金へのご協力依頼が届いています。
無言館とは窪島氏が中心になって戦没画学生の絵を集めて設立した美術館で、窪島氏が館長を務め、運営維持しています。皆さまのご協力をお願いします。


昭和53年卒業6年4組クラス会
投稿者:青木毅
(昭和53年卒)
2018年7月18日(水)

昭和53年卒業、6年4組(担任:新野先生)クラス会が7月14日(土)に行われました。
今回は卒業40周年ということもあり、イベントとして大きく変貌を遂げた学校見学が行われました。
午後3時に有志9名が学校に集合し、塩田先生、海原会・国井様に学校をご案内いただきました。
教室に完備された電子黒板や、一部学年ではタブレットを使った授業が行われていることなどをお聞きし、8階建ての2号館、人工芝のグランドなど参加者一同、時の流れを痛切に感じると共に、どこの場所でも生徒たちが明るく礼儀正しい挨拶をするなど、とても40年前の先輩悪童からは想像できないくらいの品格「新しい紳士の育成」を感じた次第でした。
その一方で、6年時に使った懐かしい4号館の教室で各自席についての記念撮影、当時と変わらぬ校門横のクスノキの大木など、瞬時に40年前に戻ったような錯覚も持ち、一同当時の思い出に浸る貴重な体験ができました。
我々のクラスは15年ほど前から2年に1回、海城卒業生らしく「海の日」の連休中にクラス会を開催しています。名誉幹事の梶原裕君の努力もあり、来年還暦を迎えますがクラスのほとんどのメンバーが発見・捕捉されています。
今回も場所を、高田馬場に移し京都や静岡からの参加者も含め20名が集まり、旧交を温めました。淵沢君、梶浦君の初参加もあり、また唯根君のハッピーなニュースなど、大いに盛り上がった夜を過ごすことができました。次回幹事を井口君、松田君に託すこととなりました。
参加者は:(学校見学から)石坂、井上、井口、久保、信田、松田、土田、服部、青木 (一次会から)梶原、大澤、淵沢、唯根、田中、鶴田、若狭、滝島、宇野澤、中原、梶浦 (順不同・敬称略)
今後も定年退職などで各人の環境も大きく変わっていくこともあろうかと思いますが、一人でも多くのメンバーが集まる盛大なクラス会が開催できればと考えております。


愛のない暮らしは辛い
投稿者:瀧本喬
(昭和36年卒)
2018年6月14日(木)

「みんな、幸(しあわせ)の反対は何か、知ってますか」――6月2日、母校の教室の一室を借りて行われた36会の総会。齋藤邦雄君が、いつになく改まった口調で、こう切り出した時、参集した36年卒業の28人は一瞬、「ハテ?」といった表情でした。「そりゃ、不幸(ふしあわせ)だろう」「それとも不安か?」「金欠もあり得るな」と思いは様々でしたが、齋藤君いわく、「幸の反対は辛いんですよ」
 そして話は「幸の尺度」へとつながります。人によっては、現役時代の「幸」は地位や年収が重要だったかもしれません。齋藤君によると、現役を引いて年齢を重ねるとおのずと「幸の尺度」も変わり、健康、教養と教育、心友信友の有無、愛などが大事になる。「今日、用事があり(教養)、行くところがある(教育)ということは、目標・目的をもって外出するということ。つまり家に閉じこもらない。そうすればやる気も出るし、新しいことに挑戦する
意欲もわいてきます」と齋藤君。
 今の時代、目標、目的もなく外出していると誤解を招く恐れがありますが、「小人、間居して不善を為す」とも言います。やはり外の空気を吸うことは健康をもたらし、旧友との交流で心友信友もできるかもしれません。
 問題は愛です。年齢に関係なく愛のない生活は辛い。ただ、「こちらが愛を思っても、しばしば向こうは迷惑がっていることがあり難しい」(齋藤君)。確かにこれは辛いですが、趣味や散歩など何かに情熱を持つことも愛であり幸につながると、齋藤君は言います。地域の老人会やゴルフ同好会など地域活動に多忙な同君は、手帳が予定でビッシリだとか。「外ではいろいろやっているけど、家庭では何も貢献していない」という苦情もあるようで、家にいるときは、自分でできることは自分でやるように心がけているそうです。
 健康や愛にも関わりますが、以下は36会会長、山田雅康君の体験談です。今年になって、奥様が病気に倒れ入院を余儀なくされた同じ時期、同居している義理の母も足の骨折で入院。3人暮らしのところ俄かに1人暮らしを強いられた由。「男1人で何もできない。しみじみ妻の有難さ、家族の暖かさを感じました。私たちの年齢になると、いつ病気に襲われるかわからない。日頃の健康、愛のある生活の大切さを片時も忘れずに大事にしましょう」と実感と共に話していました。
 一方、こちらは金澤三則君。病気を抱え体調万全とは言えないながら、毎朝、自宅周辺を10キロほど走り、戻ってからはバードゴルフ(ゴルフをミニ化したもの)に励むといいます。「それじゃ、一日、グッタリだろ」との声には「全然、平気だよ」という答えでした。
 これを受けて、金子宣男君が「このところ、知っている人が亡くなったというニュースが多い。我々はせめて米寿まで頑張ろう」と激励の一言。その他、総会では、例によって“いつの間にかイベント部長”の齋藤君の骨折りで、今年の秋にも伊東界隈に繰り出すことを決定。感謝。最後に副会長の重武茂任君が「近ごろは変に気を使う人間がいるせいか、いろいろなことが世の中に起きている気がする。誰に気を使うこともない、この集まりを大事にしましょう」と締めくくり、一同、この後に開かれた海原会総会に出席。さらに十数人が四谷あたりに繰り出したのは恒例のことです。


第44回湘南海原会例会開催しました
投稿者:佐藤誠二
(昭和37年卒)
2018年6月6日(水)

平成30年5月25日、JR茅ヶ崎駅ビルの「快飛び」で第44回湘南海原会例会を開催致しました。6名の参加で昭和19年海城中学卒業の大先輩から昭和37年海城高校卒業の幅広き地域同窓会は地元湘南地方の名産海の幸「生シラス」から始まる海鮮料理に舌鼓を打ちながら、我々昭和37年卒業の若輩が生まれた歳に卒業をされている大先輩との世代を超えた話題に2時間はほんの僅かの時間に感じられました。当日体調不良で参加出来ない先輩の方々は出欠のハガキの返事以外に幹事宛電話を頂き近況を伺うことが出来ました。皆様方大変元気なお声でとても90歳を超えているとは思えないご様子でした。次回は何とか参加されたいというお声に大変勇気づけられました。湘南海原会は世代を超えた海城中学、高校の地域同窓会です。いわゆる湘南地方に限らず、近郷近在のOBの方々のご参加をお待ち致します。


松戸の英雄、二子玉川に来たる
投稿者:国井信男
(昭和62年卒)
2018年6月3日(日)

プロのミュージシャンとして活躍する藤井康一さん(昭和51)のライブに行ってきました。

藤井さんは学生時代に松戸の同級生たちとウシャコダを結成。78年にヤマハ主催のコンテストで最優秀グランプリを獲得したのをきっかけに、プロのミュージシャンとしての藤井さんのキャリアがの始まりました。以来40年!プロのミュージシャンとして日本中のライブハウスやラジオ番組を中心に活動しています。
藤井さんのライブは、今、この場所で観客と作り上げる生の雰囲気がいっぱい。笑いあり、もちろんR&Bテイストの本格的な音楽あり。

当日は同級生を中心とした海城OBも駆けつけました。
先日までマニラで勤務され、定年を機に帰国された石原さん(昭和51)曰く、「おれ、あいつのライブ見るの40年ぶりなんだよ。変わんないね」確かに、藤井さんは声量抜群で、還暦を迎えたとは思えません。
「あいつ、ホント歌うまいなぁ」とは美術家の冨田さん(昭和51)。そりゃプロだからそうでしょう、と突っ込みたくなりますが、同級生が歌っているという目線だとそういう感想になるのも頷けます。

近年は進学校として評価が定着した海城ですが、時代・時代で多くのプロミュージシャンを輩出してきました。華やかな新宿の隣にある学校ですから当然かもしれません。そういう幅の広さも海城の魅力だと思う二子玉川の夜でした。


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